かつて、製紙業者が専用の畑でコウゾ(Broussonetia papyrifera)を栽培していたが、現在は、ごく稀な例外を除き、コウゾまたはヒメコウゾ(Broussonetia kazinoki)は、農家で食用作物に追加する形で栽培され、製紙業者に売られている。ただし、一部の製紙業者はいまだに共同で、紙を製造する場所で栽培し、樹皮を収穫している。紙は日本の多数の地域で製造される。
コウゾは古くから紙の製造に使われてきた。702年のものとされる日本最古の紙(美濃(岐阜)、筑前(福岡)、豊前(大分)の家系図)はコウゾを原料とする。日本における製紙の最初の隆盛期は、奈良時代(710~794年)と平安時代(794~1185年)である。これらの時代に、日本は中国にならった官僚制度に支配され、大量の紙を必要とした。写経にも良質な白い紙の製造を必要とした。政府は製紙所の設置を奨励したが、それらを管理したのは各地の権力者であった。紙は税の役割を果たしたため、各地の豪族が製造を管理した。最初は溜め漉きによる製紙が行われ、平安時代に流し漉きに移行した(製紙工程の部分を参照)。
平安時代に技術が改善され、麻の代わりにコウゾとガンピ(雁皮)が使われるようになった。コウゾは麻よりも栽培しやすく、どこででも簡単に栽培できたため、コウゾが最も普及した。ガンピは栽培できず、野生の低木を収穫する以外に利用できなかったため、使用は限られた。
第2の隆盛期は鎌倉時代(1185~1333年)から明治時代末(1868~1912年)までである。封建時代には、紙の需要が大幅に拡大した。生産される量、質、種類が上昇した。江戸時代(1603~1868年)に、コウゾは日本の多数の地域で栽培され、製紙に使われた。紙は税という役割から、大都市に運ばれ売却される商品へと性格を変えた。この莫大な利益を上げる取引は、各藩の大名が取り仕切っていた。
100%コウゾから作られる紙(楮紙(ちょし ))は書道、公文書、印刷物に使われる。
書道用の紙は、墨が広がり、かすれて深みがなくなることを防ぐためにサイジングされている。現在、書道用の紙は、芸術的な効果の幅を広げるために、竹や稲藁などの他の繊維を含む場合がある。
美術では、コウゾから作る紙が絵画、版画、掛け軸、障子、襖などに使われる。
家庭用には、窓、襖、壁、床などの紙として、また、日用品、箱、瓶、傘、提灯、扇、布、玩具などの手工芸品の材料として、幅広い用途がある。
さらに、宗教用または儀式用の道具にも使われる。
布の製造にも使われる。紙を丈夫にするための処理を加えた後、直接使用することもあるが(紙衣(かみこ))、まず糸状にしてから使用することもある。混紡の糸、紙の糸、絹、綿、麻などの織糸を織って繊維にする(紙布(しふ))。