ガンピ繊維は奈良時代(710~794年)から使われている。平安時代(794~1185年)には、和歌を書く紙として、宮廷でガンピ紙が珍重されたことを示す証拠があり、紙は染色または装飾されることがあった。
越前藩(現在の福井県)の鳥の子(後述)は中世に現れ、卵色で表面に光沢があることから、「鳥の子」という名がついた。光沢紙で、墨がにじまないため、書道に使われる。
室町時代(1336~1573年)から江戸時代(1603~1868年)まで、当時、非常に人気があった金箔の装飾が映えるという理由で、ガンピ紙は絵画の台紙として使われた。
明治時代(1868~1912年)には、謄写版印刷またはアルコール複写機で使う複写紙(「土佐雁皮紙」を参照)の製造に、大量のガンピが使用された。
現在、栽培が難しいため、いまだに野生の低木からの収穫が行われている。繊維の需要が生産を上回るため、ガンピの一部はフィリピンから輸入されている。
収穫したガンピ100キロから3~5キロの紙を製造できる。