「みつまた」は3つの分岐という意味で、この木の形を指している。
ミツマタの繊維で作った紙は、この種の栽培が難しいため、コウゾ製の紙よりもはるかに高価である。ただし、ガンピよりは栽培が容易である。
通常、農家は木を栽培し、収穫し、樹皮を用意した後、煮る準備が整った状態の未加工の樹皮を製紙業者に供給する。
ミツマタの紙には種々の用途があるが、細い線を描けるため、特に書道と印刷によく使われる。
ミツマタの繊維は江戸時代(1603~1867年)に、麻に代わってよく使われるようになったが、使用自体は桃山時代(1573~1615年)に始まった。
コウゾと同じくミツマタの栽培も、江戸時代初期に福井県で産業振興策が進められた。
ミツマタの繊維を使う製紙は、産地にちなんで修善寺紙、または現在の静岡県、山梨県にあたる土地の旧名にちなんで駿河半紙と呼ばれる紙から始まった。これらの紙はガンピとミツマタの繊維の混合であるが、ガンピまたはコウゾから作られた紙も、同じ名前で呼ばれる。明治時代(1868~1912年)から、静岡県は紙幣製造を目的とするミツマタ紙生産の中心地である。
佐治谷(鳥取県)は、明治時代に、ミツマタとミツマタ紙の主要生産地になった。
現在、年間生産量は約360トンである。樹皮の主要生産県は四国地方の愛媛、高知、徳島、中国地方の岡山、島根である。
収穫したミツマタ100キロから3~5キロの紙を製造できる。