蘇易簡(953~996年)は『文房四譜』に、稲藁と麦藁が浙江で使われ、籐と混ぜることにより、良質な紙ができると記している。
稲藁を含む最も有名な紙は宣紙である(参考:Ulmus cavaleriei)。この紙は安徽省涇(けい)県で生産される。これは青檀の樹皮と稲藁の繊維から作られる。これら2種の繊維を混合することで、絵画と書道に最適な品質の紙になり、特に、鋭利な筆致の効果に適した特性が生まれる。
宣紙については、1060年に刊行された『新唐書』(宋代の学者が編纂)に言及がある。
涇県での製紙の始まりは唐代(618~907年)にさかのぼる。宣城市と太平市の周辺の町が生産の中心であった。唐代の涇県は宣州が統括していたため、それにちなんだ名が付けられた。宋代(960~1279年)に、製紙は原料が豊富だった涇県に徐々に移動した。Ulmus cavalerieiまたはPteroceltis tatarinowiiはその地域の固有種であり、稲も同じ場所に植えられる。元来、稲藁は原料費を下げるための補充原料として使われていた。宋と元(1280~1368年)の時代には、竹などの他の原料も使われた。
明代(1368~1644年)に、稲藁と竹を混ぜて紙を作るようになった。
宋応星(1587~1646年)は1637年に刊行された百科全書『天工開物』の中で、包装紙の製造で藁と竹を混合すると記している。
今日でも、藁は包装紙、儀式用の紙、衛生紙の生産に最もよく使われる原料の一種である。