竹の栽培は中国で7000年以上続いており、中国の文化と日常生活に深く根を下ろしている。竹は常に、あらゆる種類の日用品の製造に使われ、紙の発明前は約800年にわたり、最も重要な筆記媒体であった。最初の筆も竹から作られた。
竹は豊富に存在し、安価で、容易に再生可能な製紙資源である。単独で使うか、または他の繊維と混合して使う。竹は昔、最北端を除き、中国の至る所で栽培され、黄河沿いの省まで自生していたが、乱伐が原因で、栽培地域は南へ移動した。
製紙原料として同定される竹の種は、研究者により異なる。Pan JixingはPhyllostachys edulis、Phyllostachys nigra (Lodd.) Munro、Pleioblastus amarus Keng、Dendrocalamus affinis Rendleの4種を同定している。
ただし、他のタイプにも言及している。Drepanostachyum falcatum (Nees) Keng、Indosasa McClure、Melocanna bambusoides、Phyllostachys aurea Carr, ex M. Riv&RivまたはCarr、Phyllostachys heteroclada Oliv.、Semiarundinaria densiflora Rendle、Schizostachyum Nees。
竹紙が最初に作られたのは5世紀から6世紀である。8世紀後半(唐朝)から、竹は製紙用繊維の最大の原料になる。当初は最初の布の原料であった麻の代わりに、その後、唐朝(618~907年)末期には、完全に枯渇した籐の代わりに使われた。竹は成長が速いため、豊富に存在し、安価である。封建時代の唐代は政治的にきわめて安定し、文化が爛熟し、経済が繁栄した時代として知られ、筆記するための紙の需要が増大した。
竹の利用は、高温多湿の気候で竹が多い広東で始まった。その手法は宋朝(960~1279年)に浙江と江蘇に伝わった。
印刷術が発明されたのは宋代であり、それが製紙産業の発展を加速した。しかし、生産はまだ初期段階であり、紙としては不完全なものであったと思われる。
竹紙が8世紀後期に発明され、12世紀後期から13世紀初期にかけて、特に芸術家の間などに広まったことが、さまざまな文献に記されている。
竹から紙を作る技術が改良されるのは明朝(1348~1644年)である。『天工開物』(宋応星が17世紀に著した百科全書)に詳細な説明があり、竹から紙を作る方法に長い1章を割いている。
竹を原料とする製紙は、その後、ほぼ変化しなかった。1950年代、竹を原料とする手作りの紙の生産量は約12万トンであった。